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浦和地方裁判所 昭和63年(ワ)380号 判決

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

中川明

森田明

飯田正剛

大沼和子

被告

丙山三雄

被告

丁川六夫

被告

大宮市

右代表者市長

新藤享弘

被告三名訴訟代理人弁護士

中村光彦

主文

一  被告大宮市は、原告に対し、金一八〇万円及びこれに対する昭和五九年一〇月一九日から支払済みに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

二  被告大宮市に対するその余の請求及び、被告丙山三雄、同丁川六夫に対する請求は、いずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は一項に限り仮に執行することができる。ただし、被告大宮市が、金一八〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、連帯して金三八〇万円及びこれに対する昭和五九年一〇月一九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告(昭和四五年一〇月二二日生)は、昭和五九年一〇月一九日当時、大宮市立A中学校(以下「本件中学校」という。)の第二学年に在学し、部活動(いわゆる部活)として男子バレーボール部(以下「バレー部」という。)に所属していた。

(二) 被告丙山三雄(以下「被告丙山」という。)は、右当時、本件中学校の教諭として、バレー部顧問の地位にあって、バレー部を指導していた。

(三) 被告丁川六夫(以下「被告丁川」という。)は、右当時、本件中学校の校長として被告丙山を監督していた。

(四) 被告大宮市(以下「被告市」という。)は、本件中学校を設置し、その管理をしている。

2  不法行為

(一) 被告丙山の加害行為及び原告の負傷

被告丙山は、昭和五九年一〇月一九日午後〇時三〇分頃、大宮市民体育館で行われた男子バレーボール新人戦大宮市大会の第一試合終了後、苦戦の末勝利したことを喜ぶ選手全員を含む部員を同体育館の廊下に集合させ、同被告を取り囲むように半円形に並んだ選手全員に対して、「お前らの今の試合は何だ、だらだらやっているからこんなことになるんだ、反省の言葉を言え。」と怒鳴りつけ、選手らがこもごも反省の言葉を述べおわるや、いきなり理由もなく左端の選手から順次その右顔面を利腕である左手の手のひらで激しく殴打し、右端に並んでいた原告に対しても、その右頬を激しく殴打した。その結果、原告はよろけ、左側頭部付近を数センチ後方にあった鉄筋コンクリート角柱の壁面に激突させた(以下被告丙山の右行為を「本件行為」という。)。

原告は、本件行為により、頭部打撲、頸椎捻挫等の傷害を負い、治療のため入通院を余儀なくされ、頭痛、目眩、麻痺、肩凝り等の後遺症に現在も悩まされている。

(二) 被告丁川六夫(以下「被告丁川」という。)の職務違反行為

被告丁川は、校長として教諭による体罰の発生を防止すべき職務上の義務があり、かつ、本件中学校において、体罰(しごき)と称する暴力が蔓延し、その中で被告丙山が再三にわたって暴力的な部活指導を繰り返していた事実を熟知していたにもかかわらず、被告丙山らに対し何ら注意も与えず、その体罰(しごき)を容認するどころか、むしろ公然と体罰(しごき)と称する右暴力を教唆・煽動するような言動に終始していた。

被告丁川の右一連の行為は、重大な過失による職務違反行為であり、右一連の行為が被告丙山の本件行為を誘発し、原告をして傷害を負わせるに至ったものである。

3  責任

(一) 被告市

被告丙山及び被告丁川は、本件当時、被告市の公権力の行使にあたる公務員であって、被告丙山は故意に、被告丁川は重大な過失によって、本件行為に及んだものであるから、被告市には、国家賠償法一条一項に基づき原告の受けた損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告丙山

被告丙山による本件行為は決して偶発的なものではなく、同被告がこれまでも繰り返し行ってきた体罰(暴行)の一つであって、故意による暴行であり、違法性の極めて高い犯罪行為であるから、被告丙山には、民法七〇九条により原告の受けた損害を賠償する責任がある。

国家賠償法一条一項の解釈として、公務員の違法行為が故意又は重過失による場合にまで、公務員が個人責任を負担しないというのは不合理かつ不正義である。

(三) 被告丁川

前記2(二)記載のとおり、被告丙山の本件行為は、被告丁川の重大な過失による職務違反行為によって誘発されたいわば本件中学校における構造的暴力というべきものであるから、被告丁川にも民法七〇九条により原告の受けた損害を賠償すべき責任がある。

4  損害

(一) 慰謝料

(1) 本件行為そのものにより被った精神的損害

原告は、被告丙山の本件行為により、頭部打撲、頸椎捻挫の傷害を負い、今日に至るまで治療のための入通院を余儀なくされ、現在でも肩こりや肩甲骨のこり、疲労・倦怠感等の後遺症に悩まされ、右傷害及び後遺症のために心身共に成長し発達すべき重要な時期に、学習及び運動の機会を奪われて将来に対する不安に悩み、また、本件行為後、被告丙山が、原告の身体状態を確かめるなどの即応した措置を何ら取らなかったことにショックを受け、教師に対する不信感に苦しむなど、身体的、精神的に重大な苦痛を受けた。

(2) 本件行為後の被告らの不適切な対応によって被った精神的損害

ア 被告丙山は、本件行為後原告の身体の安全を確認しなかっただけでなく、本件行為をなしたことについて、校長である被告丁川に対しても原告の両親に対しても知らせなかった。

被告丁川は、原告の母から本件行為を知らされたが、原告の負傷部位が頭部という身体の枢要部であり、しかも当時丸坊主にしていた原告の頭部を観察するのは極めて容易であったにもかかわらず、原告の身体状況を子細に観察しようともしなかった。

イ 被告丁川は、本件行為後、大宮市教育委員会に提出すべき「教職員事故報告書」を作成するにあたり、原告らから事情聴取することを怠り、被告丙山からの事情聴取を中心としてこれを作成した。その結果、昭和五九年一一月九日付「教職員事故報告書」は、本件行為の動機、態様について被告丙山の言い分に沿った記載となり、しかも原告の負傷の事実が明記されなかった。このため、昭和六〇年二月二六日頃、原告の母が被告丁川及び被告市の教育委員会に対して「教職員事故報告書」の誤った部分を指摘し、訂正を申し入れ、三者の間で合意がなされたにもかかわらず、被告丁川及び教育委員会は、速やかに訂正をなさず、昭和六一年一〇月二三日頃、再度の協議を経たのち、同年一一月二六日過ぎになってようやく訂正した。

ウ また、被告丁川は、昭和六一年度の内申書において原告の欠席日数の多さが本件行為に起因するものであり本件中学校に責任があることを記載すると約束したにもかかわらず、本件行為を隠蔽し、また本件行為の責任を問う原告らに報復する目的で、原告について事実に反し且つ不利益な内容の内申書を作成した。

こうした、被告丙山、同丁川及び、同市の教育関係者の不誠実な対応、態度によって原告の精神的苦痛は増大された。

(3) 以上により、原告は慰謝料の一部として金三〇〇万円を請求する。

(二) 弁護士費用

原告は、本件訴訟の弁護士費用として、八〇万円を原告訴訟代理人らに支払うことを約束した。

5  よって、原告は、被告丙山及び被告丁川に対しては民法七〇九条に基づき、被告市に対しては国家賠償法一条一項に基づき、連帯して損害賠償金の一部として三八〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五九年一〇月一九日から支払済まで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  請求原因1は認める。

2(一)  請求原因2(一)の事実中、被告丙山が、いきなり理由もなく、選手の顔面を激しく殴打し、原告をコンクリート角柱に激突させたこと及び、原告の負傷の内容については否認し、その余は認める。

被告丙山は、選手の気持ちを引き締めるために選手の右頬を一回宛手のひらで叩いたのであり、原告は、よろけて壁に頭をぶつけたものである。

(二)  同2(二)の事実のうち、被告丁川が本件行為当時、本件中学校の校長の地位にあったことは認め、その余は争う。

3(一)  請求原因3(一)の事実のうち、被告丙山及び被告丁川が本件行為当時被告市の公権力の行使にあたる公務員であったことは認め、その余は争う。

(ニ) 同3(二)及び(三)の主張は争う。

国家賠償法一条一項にいう国又は公共団体の公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときに、被害者に対して損害賠償の責めに任ずる者は、国又は公共団体に限られ、当該公務員は、いかなる場合も、被害者に対し直接には損害賠償責任を負担しないものと解すべきである。

4(一)  請求原因4(一)(1)の事実のうち、本件行為が被告丙山により何ら懲戒事由もなくなされたことは認めるが、原告の症状については不知。原告の症状と本件行為との因果関係については否認する。(2)アの事実のうち、被告丁川が本件行為のあった日の翌日(昭和五九年一〇月二〇日)原告の母から本件行為を知らされたことは認め、その余は否認する。同イの事実のうち、「教職員事故報告書」の日付が昭和五九年一一月九日であったこと、昭和六〇年二月二六日に三者の間で話合いがなされ、その際原告の母から「教職員事故報告書」の記載が事実と相違する旨の話が出たこと、原告の母から訂正の申し入れがあったこと(ただし申し入れがあったのは三者間の話合いがなされた際ではなく、昭和六一年一一月七日であった。)は認めるがその余は否認する。同ウの事実については否認する。

(ニ) 同4(二)の事実は知らない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

請求原因1(一)ないし(四)の事実はいずれも当事者間に争いがない。

被告丁川本人の供給及び弁論の全趣旨によれば、被告丁川が被告丙山を指導していたこと及び、被告市が本件中学校を運営していたことが認められる。

二被告丙山の不法行為

1(一) 被告丙山が、昭和五九年一〇月一九日午後〇時三〇分頃、大宮市体育館で行われた男子バレーボール新人戦大宮市大会における第一試合終了後、通例に従いミーティングのため、出場選手全員を同体育館廊下に集合させ、同被告を取り囲むように反円形に並んだ部員のうち出場選手全員に反省の言葉を述べさせた後、左手の手のひらで各選手の右頬をたたいたこと、その際、原告がよろけてコンクリート角柱の壁面に頭をぶつけたことは当事者間に争いがない。

(二) そして、〈書証番号略〉、右各証拠から大宮市民体育館の廊下及び、原告が被告丙山から殴打された場所を撮影したものであることが認められる〈書証番号略〉によれば、原告は、被告丙山を取り囲むように並んだ選手たちの右端におり、廊下に突出しているコンクリート角柱の壁面に肩を接するような位置に立っていたこと、被告丙山の殴打の態様は、一時間近い長時間の接戦の末、二対一で辛勝したという第一試合の試合内容に腹を立てていた状態で、選手らに反省の弁を言わせた直後に利き腕である左手の手のひらでいきなり各選手の顔面を張る(殴打する)という態様で、顔面を張られた(殴打された)選手がその勢いで右側によろけることが当然に予測できる態様であったこと、及び右態様による暴行の結果原告はその左側頭部の後ろ付近をコンクリート柱の壁面に衝突させたことがそれぞれ認められる。

なお、被告らは、被告丙山の右殴打は、第二試合に臨む選手らに活を入れるためになされたものである旨、その動機を主張するが、被告丙山本人の供述、〈書証番号略〉及び原告本人の供述並びに右殴打をするに至った経緯からすれば、被告丙山にそうした意図・目的が全くなかったとまではいえないものの、むしろ第一試合のような試合内容では、第二試合には勝てないという焦りの感情をそのまま原告らにぶつけたにすぎないと認めるのが相当であって、被告丙山に、本件行為を正当化しうるに足りる教育的配慮等があったものとは認められない。

2  原告の負傷及び後遺症について

(一)  〈書証番号略〉、原告本人尋問の結果、証人田中紀子及び同土沢正雄医師の証言によれば、

(1) 原告は、被告丙山から、殴打された翌日である昭和五九年一〇月二〇日に藤井内科医院において「頭部打撲」の診断を受けたのち、同月二二日に大宮総合病院において「頭部打撲傷」、同年一一月五日に東京労災病院において「軽度の脳波異常」、同月二二日に大宮総合病院において「脳波異常」、昭和六〇年四月一日に国立小児病院において「頭部外傷」、昭和六一年七月二二日(同年五月二九日受診)に土沢整形外科医院において「頸椎捻挫」、同年一〇月一三日に大宮市医師会市民病院において「頭痛」、昭和六二年九月二日に鉄道中央病院において「頸椎捻挫後遺症」、同年一一月一一日に東京労災病院において「軽度の脳波異常」、昭和六三年一月二八日に春日部東部病院において「外傷性頭頸部症候群の疑」、同年八月二四日に国立塩原温泉病院において「頸椎捻挫後遺症」との診断をそれぞれ受けていること、

(2) 昭和六一年五月二九日に、土沢整形外科医院において撮影した前屈位による原告の頸部のレントゲン写真には、第三頸椎と第四頸椎、第四頸椎と第五頸椎の間にそれぞれ軽度の転位(ずれ)があること、及び第四頸椎と第五頸椎の上後端部に骨棘が形成されている状態が撮影されていること、

(3) 骨棘は、老化現象に伴って形成されてくることがあるほか、原告のような若年者であっても頸椎の転位(ずれ)が原因となって形成されることもあること、

(4) 原告は、(1)の診断を受けている間、常に頭痛、目眩、頸部の痛み、手足のしびれ等を訴えていたこと、

(5) 原告は、保育園児のときに他の園児の乗ったブランコが頭の正面にぶつかるという事故にあったことがあるものの、被告丙山による本件行為以前には、運動も普通以上にでき何らの愁訴も訴えていなかったこと、及び本件行為の後に原告が頭部に外傷を負ったことはないこと(後述のように、原告は、被告丙山の殴打による負傷後に、被告丙山以外の教諭に頭を殴られたことがあったが、これにより負傷するほどのものではなかった。)、

が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  以上の事実を総合勘案すれば、原告が、被告丙山の本件行為による頭部打撲の結果頸椎捻挫の傷害を負ったこと、及びその後遺症として頭痛、目眩、頸部の痛み、手足のしびれ等の症状が生じたものであることが認められる。

4  被告らは、①原告が本件行為後複数の医療機関で診察を受けていたにもかかわらず、昭和六一年五月二九日に土沢正雄医師(以下「土沢医師」という。)が頸椎捻挫の診断を下すまでは頸椎捻挫の診断を下した医師がいないこと、②土沢医師の診断が本件行為後一年半以上も経ってからのものであること、③土沢医師が頸椎捻挫の原因を特定できないことを理由に土沢医師の診断の信用性に疑問を投げかけているが、土沢医師の証言によれば、同医師の診断の重要な判断材料となった骨棘は、頸椎捻挫を負ってから一、二年が経過しないと形成されないと認められるのであり、同医師以前になされた診察の際には未だ骨棘がレントゲンで判断できるほどには十分に形成されていなかったことも考えられること、原告の頸椎捻挫(頸椎の転位)は軽度で、前屈位によるレントゲン写真にのみ転位が撮影されるために、他の医院では、レントゲン写真の撮影方法の不適切さと相俟って、転位が看過された可能性がないとはいえないこと、頸椎捻挫の症状があると診断することと、その原因を特定することとは次元を異にするのであって、原因が特定できなくても症状を診断することは十分可能であるから、被告らの疑問をもって、直ちに土沢医師の診断の信用性に疑いを差し挾む余地があるとまで断定することはできない。また、被告らは、本件行為後に原告に生じた諸症状について、誤って原告が脳波異常だと公表されたこと及び、登校拒否だと公表されたことが原因だと主張しているが、原告が本件行為後に訴えていた症状は、頸椎捻挫の後遺症とされる症状と一致しており、この一致という事実による推定を覆し被告の主張を裏付けるに足りる事実を窺わせる証拠はない。そして、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

次に、原告の前記頸椎捻挫と本件行為との間に因果関係があるかについて判断する。

土沢医師の証言によれば、原告のような未成年者に骨棘が形成される原因としては外傷以外には考えにくいこと、原告の転位や骨棘の状態からみて、その外傷は後方からの外力が当たった場合と、正面衝突のような事故の場合の二つの場合が考えられること、本件行為により原告がぶつけた部位が側頭部と後頭部の中間あたりであれば、この様な転位や骨棘が形成される可能性もあること、外傷を受けてから一年半位の経過でも骨棘が形成されうることが認められる。

既に認定したとおり、原告は、保育園児のときに他の園児の乗ったブランコが頭の正面にぶつかるという事故にあっているが、本件行為以前には、運動も普通以上にでき何らの愁訴も訴えておらず、本件行為後には原告が頭部に外傷を負ったことはない。

以上の事実を総合すると、頸椎捻挫の原因となり得るような外傷は、本件行為の他にはなく、原告の頸椎捻挫と本件行為との間には因果関係があると推認される。

三被告丁川の不法行為

1  請求原因1(三)の事実については当事者間に争いがない。

2  そこで、被告丁川の職務違反行為の存否について判断する。

(一)  〈書証番号略〉、被告丙山本人の供述、被告丁川本人の供述、証人田中紀子の証言並びに原告本人の供述によれば、被告丙山は、昭和五六年四月に新任の教師として本件中学校に赴任した者であるが、本件行為以前の昭和五七年に生徒を殴ってその目に怪我をさせたこと、昭和五九年にも生徒を殴ってその鼓膜を破ったこと、本件中学校在任中(昭和六三年三月まで)に少なくとも一〇回以上は生徒を殴っているところを目撃されているほか、本件行為後にも被告丙山以外の教師で原告の頭を殴った者がいること、昭和六〇年には、被告丙山以外の教師で生徒を殴ってその鼓膜を破った者がいることが認められ、そうした事実を総合すると、本件中学校では、原告が被告丙山から殴打された当時、複数の教師により、体罰もしくは体罰の外形をとる生徒への暴行等の行為が行われていたものと認められる。

(二)  被告丁川本人の供述及び被告丙山本人の供述及び弁論の全趣旨によれば、被告丁川は、被告丙山と同じ昭和五六年四月に校長として本件中学校に赴任した者であるが、被告丙山が生徒の目に怪我をさせたことについては知っていたが、鼓膜を破ったことについては被告丙山が報告しておらず、被告丁川はこの事実を知らなかったこと、また、被告丁川が被告丙山以外の教師の暴行について実際に目撃したのは一件だけであるが、その他の調査、報告によって知っていたものは他にもあることがいずれも認められるのであって、そうしたことからすると、被告丁川は、少なくとも本件中学校において複数の教師により体罰が行われていたことを本件行為以前に知っていたものと認められる。

(三)  被告丁川本人の供述及び被告丙山本人の供述及び弁論の全趣旨によれば、被告丁川は、本件中学校で起きた体罰について全てを把握してはいなかった(被告丙山への注意についても、本件行為以前に生徒に怪我をさせた二件の事件のうち一件については知らず、一件について注意を与えただけであった。)が、少なくとも被告丁川が知った件については、被告丙山をはじめ当該教師に注意を与えていることが認められ、本件全証拠によるも、被告丁川が被告丙山の体罰と称する暴力を伴う指導方法を容認し、公然とこれを教唆・指導するような言動に終始した事実までは認められず、他に重過失に基づく職務違反行為があったと認定するに足りる証拠はなく、また、被告丁川の行為によって本件行為が誘発されたことを窺わせる事実を認めるに足りる証拠はない。

四被告市の責任

被告丙山が、本件行為当時、被告市の公権力の行使にあたる公務員であったことは、当事者間に争いがなく、既に認定したとおり、被告丙山が、その職務である教育活動の過程において原告に対して暴行を加え、傷害を負わせたものであるから、被告市は、国家賠償法一条一項に基づき、被告丙山の行為によって原告が被った損害を賠償すべき責任があるものと認められる。

なお、原告は、被告丙山個人にも原告に対しその損害を賠償すべき責任がある旨主張するが、国又は公共団体の公務員がその職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えた場合には、国又は公共団体が、その被害者に対して損害賠償の責任を負い(国家賠償法一条一項)、当該公務員個人は、直接被害者に対して損害賠償責任を負うことはなく、当該公務員に故意又は重大な過失があったときは、国または公共団体は当該公務員に対して求償権を有する(同法一条二項)ので、国又は公共団体からの当該公務員に対する求償権の行使という方法でのみ当該公務員に責任を負担させることができると解するのが相当である。

また、原告は、被告丁川の職務上の義務違反によって被告丙山の本件行為が誘発されたとして、被告丁川自身の不法行為も主張しているが、既に認定したまうに、被告丁川には、そもそも原告らが主張するような重過失に基づく職務違反行為があったとは認められない。

したがって、被告丙山及び被告丁川の原告に対する損害賠償責任は認められない。

五損害について

1  慰謝料

当事者間に争いのない事実、既に認定した事実に原告本人の供述、被告丙山本人の供述、被告丁川本人の供述、証人田中紀子の証言及び弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認定できる。

(一) 本件行為は何ら懲戒事由もなくなされたもので、いわれのない暴行を教師である被告丙山から受けた原告のショック、悔しさは大きく、教師に対する不信感も強く生じた。原告は本件行為による傷害と後遺症により、中学二年の後半から中学三年という重要な時期に、長期にわたる欠席を余儀なくされた。なお、後遺症による欠席が長期にわたったことについては、原告の頸椎捻挫の診断が本件行為による受傷後約一年七か月後に初めてなされ、この間、頸椎捻挫に対する適時の適切な治療が全くなされなかったこと及び、原告の母の学校に対する抗議等により本件行為が学校全体の問題として大きく取り上げられたため、原告が精神的負担を感じざるを得なかったことも影響していることは否定できない。

(二) 被告丙山は、本件行為以前にも二度も生徒を殴り怪我をさせたという経験があるのであるから、打ち所が悪ければ傷害を負わせる結果になることを経験上も知っていた上、原告の顔面を殴り、結果として身体の枢要部である頭部をコンクリートの角柱の壁に激突させたにもかかわらず、特に原告の状態を確かめることもせず、次の試合に原告を出場させ、その後学校に帰り練習したのちに下校させるまで何の配慮もしなかった。(これに反する被告丙山本人の供述は、原告の状態を確認したというのにその具体的内容についての記憶が曖昧で、本件行為直後に自身が被告丁川に報告したことと内容も異なるなど信用しがたい。)。

また、被告丙山は、本件行為について校長に報告することもせず、原告の両親に知らせることもしなかったばかりか、本件行為後原告に直接謝罪したこともなかった。

被告丁川は、本件行為の翌日の午前中、校長に面会に来た原告の母から本件行為について聞き、授業中の教室へ赴き、廊下で原告の状態を尋ねたが、原告の訴えを十分に聞かず、原告の負傷部位についての観察も十分には行わなかった。

(三) 被告丁川は、本件行為について原告から事情を聴かず、被告丙山からの事情聴取を中心に大宮市教育委員会に提出する「教職員事故報告書」を作成したため、右報告書の内容は、本件行為の動機、態様について被告丙山の言い分にそったものとなり、原告負傷の事実も明記されなかった。この点について原告の母が訂正を申し入れたにもかかわらず、被告丁川は速やかに訂正をせず、再度の協議ののちに訂正した(原告の母が訂正を申し入れた時期については、被告丁川本人の供述と証人田中紀子の証言とが食い違うが、前後の経緯に照らし、証人田中の証言が信用できる。)。

(四) 被告丁川は、本件行為後にたびたび行われた原告の母との話合いの際に、原告の内申書(高等学校入学志願者調査書)の記載についても話合い、原告の受験について配慮して、昭和六一年度の内申書においては原告の欠席日数が本件行為に起因するものであり本件中学校に責任があることを明記する事を話し合った。

その後、(〈書証番号略〉によれば)、被告丁川の責任において昭和六一年一月頃作成した原告の昭和六一年度の内申書には、「本件行為が欠席の遠因となった」「頭を壁にぶつけた(激突したとは書かれていない)」と記載され、長期欠席の理由に情緒不安定による登校拒否もある旨記載された。

右記載は、本件行為が直接の原因だとされておらず、頭をぶつけた状況についてゆるやかな表現になっている点で事実よりはやや後退した表現になっているが、一応本件行為については触れられており、長期欠席の理由に情緒不安定による登校拒否が挙げられていることを考慮してもなお、本件行為を陰蔽する目的で記載されたとまでは認められない。

また、既に認定したように原告の長期欠席の主たる原因は本件行為の後遺症によるものといえるが、内申書記載当時には、原告が頸椎捻挫の傷害を負っているとの医師の診断は全くされていなかったこと、被告丁川自身原告の受験については心配し配慮していたことが窺われること、被告丁川は本人尋問の時点でもいまだに原告の長期欠席の原因が情緒不安定にあると信じていることから、被告丁川は情緒不安定による登校拒否との記載が事実に反するとは思っていなかったことが推認されるのであって(その判断及び記載したことの当否はともかく)、原告らに報復する目的で前記のように記載したとは認められず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、右内申書は前記「教職員事故報告書」とは異なって、本件行為を直接取り扱った文書ではなく、全く別異の目的をもって作成された文書であるから、その記載内容如何が別個の不法行為を構成するのはともかく(本件において、内申書の記載が別個の不法行為を構成するとして不法行為の追加的変更がなされたが、被告らの消滅時効の主張により撤回(取下)された経緯がある。)、本件行為の事後的対応の不誠実さを示すものとして本件の慰謝料算定の一事由に取り入れるべき筋合いのものではないが、本件においては、前記認定のとおり、被告丁川と原告の母との間に本件行為を前提とした内申書の記載内容についての話し合いがあったという特別の事情があるから、その限度で本件行為に関連するものとして、斟酌、検討すべきものと認めた。

(五) 以上の事実及びその他本件に顕れた諸事情を考慮すると、本件行為によって原告の被った身体的、精神的苦痛に対する慰謝料の額は、一五〇万円が相当と認められる。

2  弁護士費用

原告が、原告訴訟代理人らに本件訴訟の追行を委任したことは記録上明らかであり、事案の内容、右認定の慰謝料その他諸般の事情に照らし、本件行為による損害として被告市に負担させるべき弁護士費用の額は、三〇万円をもって相当と認める。

六結論

以上によれば、原告の被告市に対する請求は、その内金一八〇万円及び不法行為の日である昭和五九年一〇月一九日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、原告の同被告に対するその余の請求並びに被告丙山及び被告丁川に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、仮執行免脱の宣言につき同条三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判断する。

(裁判長裁判官山﨑健二 裁判官川島貴志郎 裁判官渡辺真理)

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